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ノウルーズ(新年)に華やぐイランの街

フィールドワーク

2013/4/20
グローバル・スタディーズ研究科   森山 拓也


西暦2013年3月20日の春分の日、イランの暦は新年の1392年を迎えた。長い歴史を誇るイランには、イスラーム化以前から続く独自の文化が残っている。西暦やイスラーム暦と並行して使用されているイラン暦もその一つだ。イラン暦は春分の日を一年の始まりとしており、年明けの日は「ノウルーズ(新しい日)」と呼ばれる。ノウルーズは古代イランで登場したゾロアスター教に由来する祝祭であるが、「イスラーム共和国」となった現在のイランでも国家の祝日に定められている。ここでは筆者が2013年3月にイランを旅行した際に見たノウルーズの様子を紹介したい。

今回、筆者がイランに到着したのは、ノウルーズの前日であった。空港からテヘラン市内へ向かう小型バスの中では、カーラジオから「チャハールシャンベ・スーリー(紅の水曜日)」という言葉が何度も聞こえてきた。年末最後の水曜日前夜に行われる「チャハールシャンベ・スーリー」は、ノウルーズを祝う一連の行事の一つである。この日、人々は庭や路地に枯草を集め、日没後に焚き火を作る。おまじないを唱えながら焚き火の上を飛び越え、厄を払い、健康や幸福を祈るのである。この年のチャハールシャンベ・スーリーは、ちょうど新年の前日、つまり筆者がイランに到着した日にあたった。

チャハールシャンベ・スーリーは、炎を尊んだゾロアスター教の影響が強く窺える行事である。だが伝統的な祝い方に加え、近年の都市部では若者たちが爆竹や花火で大いに騒ぎ立てる様子が目立つという。筆者もテヘラン市内に近づくにつれ、所々で爆竹の炸裂音や、花火の燃える様子、歓声をあげる若者の姿に遭遇した。イラン人の友人は、チャハールシャンベ・スーリーの夜にロケット花火が飛び交い、爆竹が鳴り響く様子はまるで戦場のようだと語っていた。実際、毎年この日には怪我人が続出し、羽目を外しすぎる若者たちへの非難も少なくないという。

テヘラン市内に到着後、筆者はイラン北西部の都市タブリーズへ移動するために長距離バスターミナルへ向かった。以前、違う季節にイランを訪れたときに比べ、荷物を抱えた大勢の人でターミナルはごった返していた。ほとんどがテヘランから地方へ里帰りする乗客のようで、正月の帰省ラッシュに遭遇してしまったようだ。地方都市へ向かうバスは満席ばかりで、通りがかりの親切な青年の助けを受け、残っていた乗車券をどうにか買うことができた。長距離バスで移動中のハイウェイでは、帰省や旅行に向かう何台もの自動車が、荷台に入りきらないほどの大荷物を屋根に括り付けて走っていた。

翌日のタブリーズでは、お昼前から大勢の人が街へ買い物に出かけていた。日本の年末に正月準備の買い物客が増えるのと同じく、イランの人々もノウルーズ前にはたくさんの買い物をする。以前テヘランに留学していた際のイラン人ルームメイトたちは、ノウルーズが近づく3月になると帰省用に家族への土産を買ったり、新しく買った服を自慢し合ったりしていた。この日はノウルーズ当日ということもあり、「ハフト・シィーン」という正月飾りを買う人の姿が多かった。

「ハフト・シィーン」はノウルーズの飾り物で、頭文字がS(ペルシャ語の「シィーン」)から始まる7つ(ハフト)の縁起物のことである。7つの縁起物は地方や家庭によって組み合わせの違いがあるようだが、リンゴ(sib)、酢(serke)、ニンニク(sir)、ソマーク(香辛料:somagh)、サブジ(麦などの草の芽:sabzi)、ホソバグミ(senjed)、貨幣(sekke)などを飾るのが一般的だ。またハフト・シィーンと一緒に、赤い金魚の入った金魚鉢や鏡、燈台、模様を描いた卵、クルアーン、詩の本なども縁起物として飾られる。ハフト・シィーンは年末の大掃除を終えた後で、ソフレという布の上に美しく飾り付けられる。年明けの時間には、ハフト・スィーンの前に家族一同が集まって新年を祝う。

イラン暦1392年の年明けの時間は、テヘラン時間で西暦2013年3月20日の14時31分56秒(東京時間では20日20時1分56秒)であった。イラン暦の年明けは、太陽の中心が春分点上を通過する瞬間であり、秒単位まで正確に時刻が決められている。テレビやラジオでは年明けの瞬間までのカウントダウンが行われる。筆者はその瞬間、タブリーズ近郊のキャンドヴァーン村にいたのだが、新年を迎える時刻になると周りから歓声や爆竹の音が聞こえた。通りにはピクニックをしながら食事を囲む家族の姿もあり、通りがかりの筆者にも「サーレ・ノウ・モバーラキュ(新年おめでとう)」と声をかけ、ごちそうを囲む輪に招き入れてくれた。

新年が明けると、親族や友人への挨拶回りが始まる。また新年の休暇を利用して、国内外へ旅行に出かける人も大勢いる。ちなみに新年13日目は家にいると不吉な日とされており、この日は大勢の人が一日中外でピクニックなどして過ごす。
筆者は年明け後にイラン中部の古都エスファハーンに向かった。だがイラン有数の観光地であるエスファハーンは大勢の正月旅行客で溢れており、ホテルの空室を探すために何件も電話を繰り返さなければならなかった。いくつかのホテルからは、ノウルーズの時期に空室なんてあるわけないじゃないかと呆れられてしまった。どうにか安宿の部屋を確保できたが、同じ宿にも部屋が見つからずにロビーで寝泊まりする外国人旅行客の姿があった。宿の隣にあるサッカー競技場には、夜になると荷物を抱えた大勢の人や自動車が集まってきた。

サッカーの試合でもあるのかと思ったが、競技場が旅行客向けの臨時宿泊場として開放されていたのであった。それほど大勢の人が新年の旅行でエスファハーンを訪れているのだ。
今回、何より印象に残ったのは、ノウルーズを祝うイランの人々の楽しそうな様子である。家族や友人と一緒に買い物やピクニックを楽しむ人々の姿で、街はどこも非常に賑やかだった。商店には品物が溢れ、アイスクリーム屋やファーストフード店には人だかりができている。いつも以上に浮かれているせいか、外国人の筆者に好奇心いっぱいに話しかけてくる人や、一緒に写真の記念撮影を頼んでくる人も多かった。ノウルーズ用に新調したのであろう色鮮やかな服で着飾った人々の表情は皆とても明るく、春の陽気とも相まって街全体が華やかな雰囲気だった。

核開発疑惑やシリア情勢をめぐり、イランは国際社会の中で孤立を深めてきた。長引く経済制裁の影響もじわじわと庶民の暮らしに浸透し、人々の生活を苦しめている。今回の滞在でも、通貨価値の大幅な下落や物価の上昇を肌身に感じた。その一方で、買い物や旅行でノウルーズを大いに楽しむ人々の様子からは、イラン社会の底力も感じられた。

ここで紹介した旅から1年が過ぎ、イランはもうすぐまた新しい春を迎えようとしている。この1年の間に、イランでは選挙を経てロウハニ大統領の新政権が発足した。新政権は欧米との対話姿勢を見せており、市民の間には経済制裁の緩和や国際社会復帰への期待も高まっている。他方でイランに対する国際社会の疑念は依然として深く、新政権の下でイランが今後どんな道を歩むのか、はっきりと見通すことは難しい。だが、新年に華やぐイランの街や人々の表情を眺めていると、この国の将来はきっと明るいと信じたくなった。

(GRM Newsletter Vol.1 より転載)