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対談(ワダーハンファル氏、石合 力氏)
2013/06/08
「Arab Spring and the Democratization Process in the Middle Eastern Countries」
Wadah Aref A Khanfar氏
〔Al Sharq Forum代表、衛星テレビ放送局アルジャジーラ元総局長〕
石合 力氏
〔朝日新聞国際報道部長〕
プログラム・コーディネーター 内藤 正典 教授の挨拶
同志社大学大学院のリーディングプログラム「グローバル・リソース・マネジメント」が主催を致します本日の「Global Leadership Forum」は、アルジャジーラ(カタールベースの国際衛星放送局)の元総局長でいらっしゃいましたワダー・ハンファルさんをお招きし、ここ数年の間の中東、特にアラブ諸国の民主化とそのメディアの役割、また、次の世代の政治の指導者をどのようにして育成していくかということなどについてお話していただきます。
同志社大学リーディング大学院「グローバル・リソース・マネジメント」とは、グローバル・スタディーズ研究科(文科系)と理工学研究科を主とした9つの研究科を横断する教育プログラムで、平成24年度に文部科学省から多文化共社会領域で採択されました。私立大学では、早稲田大学・慶應義塾大学と同志社大学だけでございます。
このプログラムでは、開発や平和構築、紛争抑止、グッドガバナンスなどを勉強する学生が、同時に電力や水資源、情報通信などのインフラ工学について勉強し、逆に理工学の大学院生が、紛争や平和構築・開発など、あるいは宗教の問題などを勉強します。そのような文理融合プログラムです。
本日のフォーラムは、同志社大学一神教学際研究センターが共催です。同志社大学には、一神教学際研究センターを中心として、現代世界の中で特に中東イスラム世界に関する問題について長年研究してきた蓄積がございます。その流れを汲みつつ、このリーディング大学院では現代世界が直面する最も困難な課題に挑戦をしていこうとしています。そこで、世界の各界でリーダーとして活躍していらっしゃる方々をお招きする「Global Leadership Forum」という講演会を企画致しました。
さて、ワダー・ハンファルさんは、1968年生まれ、パレスチナのご出身で、ヨルダン大学で最初は機械工学を勉強され、その後哲学を勉強されておられます。更にアフリカ研究につきましては、スーダンや南アフリカでも研究を続けてこられたという、アカデミックバックグランドを持っていらっしゃいます。1997年からアルジャジーラに入られて、特に2006年から2011年まではアルジャジーラの総局長を務められ、ハンファルさんの名前を一躍世界に轟かせました。ちょうどその時期は、9.11のテロがあり、その後、アメリカとその同盟国によるアフガニスタン侵攻があり、そして2003年にイラク戦争があった時期です。中東にとって、あるいは文字通り世界にとっての激動の時期を、アルジャジーラという放送局の目を通して見てこられたジャーナリストです。皆さんもよくご存じのとおり、21世紀に入ってからの戦争は、メディアを誰が支配するかによって大変大きな影響を与えました。当然のことながら、それはCNNの始まりであり、あるいはイラク戦争時にアメリカの放送局FOXが、アメリカの国策に沿った報道をするという形で、世界に大きな影響力を持ちました。しかしながら、アルジャジーラはそれとは違う視点、現地からの視点でニュースを流すということで、中東やイスラームをめぐる問題に関して、欧米側の報道に対してバランスを取るということで大きな貢献をした放送局でもあります。そして、ハンファルさんは、2011年にこの放送局を退かれて、現在は、一種のシンクタンクであるAl-Sharq Forumというファンデーションの総裁を務められています。同時に「アラブの春」以降の中東の民主化を担う若い人達に、政治家としてのキャリアをどのようにして積ませ、育てていくことができるかという教育面での活動にも尽力しておられます。これからの否応なくグローバル化してく社会の中で、どのようにして現状の困難を打開していくか、その困難を解決し得る人材を養成しようとしているこの同志社大学の「グローバル・リソース・マネジメント」とハンファルさんの現在のご活動というものは深くリンクします。したがって、本日ここでハンファルさんに講演をいただくことは、我々にとっても大変重要な意味を持っています。
それではまず、ハンファルさんに1時間弱ご講演いただき、その後の第2部では、朝日新聞のカイロ支局長、中東アフリカ総局長を経て、現在、朝日新聞国際報道部長を勤められている石合さんにもご登壇願って、プロのジャーナリストと、皆様からの質問を取り混ぜて質疑応答のセッションにしたいと思います。
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対談 ハンファル氏×石合氏
(以下敬称略)
石合:それでは、第2部ということで質問を続けていきたいと思います。会場の皆様からの質問をまずいくつかお読みして、ハンファルさんにはその中からポイントを掴んでお答えていただくと致します。
トルコの今の問題が、中東の国々の民主化プロセスに影響するでしょうか。そして、このトルコが、中東の国々の民主化プロセスにどういった影響を与えると思われますか。
次の質問です。欧米のメディアの姿勢についてです。欧米のメディアは、従来から無責任ともいえるような報道をしていると思いますが、これについてどのように考えますか。
次に、アルジャジーラの姿勢についての質問になります。ジャーナリズムは中立でなければならない、バランスが取れていなければならない、しかし、時によってアルジャジーラは反政府の立場を取ったように私には映りますが、どのようにお考えですかという質問です。
それと関連していますが、同じ方からのご質問で、何らかの新しい国、覇権国家が、アラブ世界に生まれることになると思いますか。
ハンファル:トルコについての質問からお答えしたいと思います。原則的に、アラブの世界で、トルコは良いイメージで見られています。そしてトルコが、この2年間の民主化の変革のインスピレーションを提供しています。これには理由があり、まず、トルコは、最近経済的な成長を達成しており、予想以上に経済が良くなっています。そして全ての国家債務の支払いを終えて、成長率も高く、同時に国際的な経済危機の中でも生活水準を高く保っています。もう一つの理由は、トルコの現政権のAKPという政党が、アラブの世界に大きな議論のソリューションを提供しました。政治におけるイスラムと、社会との関係をどう取り扱うか。彼らは独自の方程式、枠組みの中で、十分に民主主義が守られながら、イスラム派のルーツを持っている政党が政権を担うというバランスが取れています。そして、アラブの国々では、例えば、エジプトにイスラム政治勢力としてムスリム同胞団が存在します。ヨルダン、シリア、イエメン、アラブの国々では、イスラム同胞団が勢力として存在しますが、トルコのAKPのように実際に成熟した形で政治を担うということは、これまでできていません。これまでの独裁政治の中では、政治に関わることが許されていなかったので、ムスリム同胞団が政治に関わっていた経験が、これらの国々ではありません。ですので、こういった意味から、トルコは大成功を収めた国だと見られています。そしてまた、トルコの国々の発信する政府のメッセージは、ほかのアラブの国々と違って穏健であり、そして党自体も、世俗の党であり、イスラムの信条は大切にしているがイスラムの政党ではないというように自分たちを定義しています。そこで、3つ目のトルコが尊敬される理由ですが、トルコの政治、この数年間を振り返るとアラブで様々な問題がありましたが、それに対するトルコの姿勢は前向きに見られています。例えば、パレスチナとイスラエル。トルコのエルドアン首相は、トルコNGO活動家がガザに救援に行ってイスラエル軍に殺害されるという問題がありました。それに対して厳しい反応をしたことで、トルコの首相は英雄だと見られました。自分たちの独裁政治家の、イスラエルに対する対応は良くなかった。そして自分たちの国々の政府とトルコを比べて、トルコを尊敬してきました。
主にこの三つの理由によって、トルコは模範的な国だとここ数年見られてきました。そして現在の状況ですが、トルコは非常に大きな危機にみまわれています。反政府の行進やデモがあるということではありません。実際の危機は、この地域における宗派の分断が起こっているということです。やはりトルコを見たときに懸念を持つのです。トルコのほとんどは、スンニ派です。しかし少数派もいます。アレヴィです。シリアのアレヴィと似ています。全く同じではないのですが、同じ先祖でした。それからクルド人もいます。しかしスンニ派です。いずれにしてもそのような影響下で、この地域の宗派主義があり、またエルドアン首相の態度や姿勢を見たときに、これはやはり何らかの形の宗派主義であろうということが分かりました。もしかしたらトルコがあまりパワフルになっては良くないと私は思っています。
石合:非常に重要なトピックをお話されました。次にパレスチナの状況です。ハンファルさん、あなたご自身もパレスチナご出身なので質問をしたいのですが、「アラブの春」、この状況が、パレスチナ問題にどのような影響を与えているでしょうか。メディアの人として、アラブの春があったから、メディアというのはパレスチナの問題に目を向けないで、アラブの春の方に意識が向いてしまったということもあると思うのですがどうでしょうか。
ハンファル:時として、メディアがいない方が国家にとっては良いということもありますよね。原則として、アラブ世界の転換、変革は、イスラエルにとってはネガティブであり、ポジティブではありません。考えてください、3年前、テルアビブにいるとしましょう。そしてエジプトにムバラク政権があって、話をするとしましょう。色々な提案が出て、色々な話をするでしょう。アメリカやEUも入ってくる。そして色々やることはあったと思います。しかし、こういう政権はもうなくなり、独裁もなくなりました。ムバラク政権があったがために、イスラエルは2008年~2009年にガザに侵攻したのですが、それはもはや無いということになります。今、2012年、全く別のガザの戦いがあり、エジプトの姿勢というのは、イスラエルに対して前向きなものではなく、むしろガザ、パレスチナ地域に対してポジティブなものでありました。また、シリアもイスラエルと戦争状態にあったのですが、過去4年間、この国境を見ると非常に安定していました。シリアの政権は維持されています。私たちはこれからイスラエルとシリアが対立ということになるとは思っていません。恐らくヨルダンが最も安定していると言えると思います。しかし、この地域の環境を見たときに、全体的にこの地帯というのは混沌としていることは間違いなく、イスラエルは、シリアで何が起こっているかについてはハッピーじゃないでしょうか。何か変革が行われるとしても、恐らくその変革というのは自分たちにとって良いことになるのではないかと思っているのです。ダマスカスにおいての政権、何らかの恐らく権威主義的な力があってそれが支配するということで、その地域の人々は恐らく武装していくということがあると思います。何で武装するのか、あるいは宗教心の台頭ということがあるかもしれません。これは不安定化要因になるでしょう。
石合:あともう一つ、ハンファルさんはアルジャジーラではもう仕事はされていませんが、アルジャジーラについての質問です。客観性あるいは中立性ということで、アルジャジーラというのは、時としてはプレーヤーですね。ただ単なる傍観者ではなく、実際に参加者である、それに対しての印象はどうでしょうか。
ハンファル:メディア、アルジャジーラの姿勢というのは2つあり、組み合わさっていると思います。私は、パレスチナの小さな村で生まれ育った少年でした。その時の情報源は、中立なものだったと思います。バイアスが少ないもの、ロンドンからのBBCです。毎日ラジオで聴いていました。幼いころ父親が、毎日朝6時に儀式のようにラジオのスイッチを入れて、耳を傾けていた姿を覚えています。そして午後4時になると、またニュース番組に耳を傾けていました。私たちの家族は、朝6時と午後4時からロンドンのニュース番組を聞いていたのです。そのほかのメディアは全て政府によるバイアスのかかったものでした。政府の考え方しかなかったのです。アラブのメディアというのは、同じような共通の嘘の情報に守られていたということが言えるかもしれません。実際にメディアは、情報局に雇われていたわけです。しかし、1966年テレビ局ができたことで新しい考え方が出てきました。国や政党に属しているものではありませんでした。そして何か違うことをやっていこうという気概を持った、中立性を持ったテレビ局だったのです。
私は、アフリカ、アジア、インド、アフガニスタン、イラクでアルジャジーラのリポーターをしてきました。私はリポーターとして言えるのですが、ディレクターになる前に私たちはエディターやニュースルームのマネージャーにこの問いかけを受けたことはありません。政治的なコメントは求められなかった。もちろんプロとして介入をするということは必要でした。ある人の意見があり、また違う人の意見もありますので、そのバランスを取ろうとしたということはあります。しかし、ポジティブな意見にまとめよう、ネガティブな方向でいこうということはありませんでした。自分が8年間総局長をしていた時も、同じ姿勢を貫きました。ニュースルームの中では自分自身を権力から切り離せということを常に言っていました。権力は、記者を常に間違った方向に向かわせる。そしてもし何かに近づいて書くとすれば、イデオロギーや党や宗教ではなくて、一般の人々の心に近い視点で見ようとしました。2002年は、アルジャジーラが初めてネットワークを構築し、自分の上司から倫理規範、使命、戦略といったものが与えられて、世界にも発表した時期でした。現実には実際に毎回バランスのある報道ができたか、常に正確な報道が100%できたか、そして全ての意見を入れた報道ができたかといったら、必ずしもそうではありません。中東のような地域においては、1つ目の見出し、2つ目の見出しと、次々に見出しがありますが、全て戦争や紛争について書くのです。それは自分のすぐ隣で起きている戦争や紛争だったり、自分自身が巻き込まれていたりするのです。私自身、2008年、2009年にはガザでのイスラエルによる侵攻の取材をしていました。記者が、ニュースルームの中で、イスラエル軍が自分の家を爆撃して、彼のお母さんが家から逃げ出し、彼の娘が怪我をしている姿をライブ中継で見たのです。その彼はジャーナリストだからといって、もちろん100%中立にはなれませんので、その報道に関して外しました。私たちは、実際に紛争の起きている地域で生活しているので、自分の村や家族が攻撃された記者に対して、100%中立になれというのは無理な話です。常に感情と切り離せということを言っていますが、100%可能ではありません。アルジャジーラは、権力や政権やビジネスや政党に近づいたことは一度もありません。常に言葉を持たない一般の民衆のために報道をしてきました。だからこの地域のあらゆる政権は、アルジャジーラを嫌っています。過去のエジプトの政権も、革命によって成立した政権(注:この講演は2013年夏のクーデタの前)も、アルジャジーラの報道に懸念を持っています。どの政権もそうです。権力に常に立ち向かい、常に権力を受け入れるのではなく疑問を呈するという精神が、アルジャジーラの中には根づいています。それが良いことかどうか。一般的には良いことだと思います。やり過ぎることもあります。しかし、一般的には批判的思考が、アラブの世界に成長しています。政府が絶対的な存在だと思っていたアラブ世界の中に、アルジャジーラは批判的な目で見ることを浸透させていったということが言えると思います。
石合:ドーハの事務局に行かせていただいたことがあります。一人のカメラマンがリビアで殺されたすぐ後でした。アルジャジーラは本当にターゲットになっていますね。政府だけではなく反対勢力からターゲットになっている状況があると思いますが。もちろん時として紛争地帯に入って行ったり、危険な所に入って行くことが課せられると思うのですが、どのようにして誘拐されたり、死ぬというところを避けていらっしゃるのでしょうか。あるいはあなた自身が、総局長の時にそういった脅威にさらされたことはありますか。
ハンファル:はい、リスクは確かにあります。バグダードにいた時、100人がアルジャジーラで仕事をしていました。その内、22名が刑務所に入っていて、拷問も受けていました。私は、22人の中の一人ではありませんでした。アフガニスタン、あるいはイラクにおいては大変危険な状況が有りえます。誰が敵で誰が味方か分からない混乱状況がありますので、ホテルの中にいるのではなく、勇気を持って当たっていくことが必要です。そして通訳にデータを収集してくれということも言えません。多くのジャーナリストは実際やっていますが、西欧のカバーをしているというジャーナリスト達は上辺しか見ていませんし、偏見を持っている人もたくさんいます。スンニ派、シーア派、ウィキペディアを見て、分析している人さえいます。ジャーナリストとしては勇気を持たなければならないし、また、慎重でなければなりません。それが生活なのです。私がアルジャジーラにいた時も、6,7名亡くなりました。また、ガザやベンガジで、亡くなった友人もいます。
石合:さて、次に難しい質問をしたいと思います。アルジャジーラで仕事をするということは、ムスリム同胞団でなければならないというようなことを言う人がいます。政治的なスタンスをきちんと持たなければならないということを聞くのですが、さて、ハンファルさんは、ムスリム同胞団に対しては共感を持ちますか。こういった考え方に共感しますか。あるいは、政治的な一つのスタンスを持っていらっしゃるのでしょうか。
ハンファル:非常によく聞かれる質問です。少しお話をさせていただきましょう。アルジャジーラですが、私が出た時には、4,000人強の人が世界中に広がって仕事していました。半分は、アラブ人ではなく、55ヶ国の人達がアルジャジーラで仕事をしていました。また、半分がムスリムでもありません。イスラム教徒やキリスト教徒、ユダヤ教徒、ヒンドゥー教徒、仏教徒が世界中のオフィスに広がって仕事をしているのです。ムスリムにはシーア派、スンニ派、ドゥルーズ派など、全ての宗派の人がいます。
私たちの間では決して尋ねない質問があるのです。あなたの宗教、あなたの背景は何ですかという質問です。こういった質問は私たちの仕事には関係ないのです。どのようなジャーナリストでも、こういった質問はしないということが鉄則です。プロフェッショナルなジャーナリストとしてのスタンダードがあります。自分の経験も一つのスタンダートといえるでしょう。ムスリム同胞団も入りました、社会主義者、共産主義者にも入っていただいたのです。ムスリム同胞団の人たちは比較的少ないかも知れません。
私の個人的な話をするのであれば、私はムスリムです。私はパレスチナで生まれ育ったので、ほかのアラブ市民と全く同じ気持ちを持っています。ムスリム同胞団やそのほかの組織に入っているわけではありません。しかし、そういった動きや運動、そのルーツはきちんと理解しています。ジャッジをするのではなく、理解しようと考えているのです。私はリポーターでした。そして紛争のレポートとしては、コンゴ、ジンバブエ、ザンビア、この世界の中の紛争、もちろんアフガニスタンやイラクにも行き紛争を見ました。それは、ジャッジするためではなく、分析をするためでしたので、ムスリム同胞団を見るときにも、やはり人々への共感が根っこにあります。ほかのイデオロギー、そのほかの組織、現象と共存すべきであるというのが私のスタンスです。民主主義的な体制に入っていこうとするのであれば、そういったスタンスが必要だと思います。例えば、ムスリム同胞団に対してムスリム同胞団だからという理由でノーを言うのであれば、民主主義ではないと思います。開かれたアラブの世界に生きる者として、それを受け容れる立場に立つべきだと思います。
(2013年6月8日開催)
(GRM Newsletter Vol.1より転載)