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GRM履修生活動レポート

オンサイト実習(トルコ)-キリスのシリア人難民 トルコNGOの支援活動

グローバル・スタディーズ研究科 森山 拓也

実習日:2014年3月5日(水)~12日(水)
場所: トルコ イスタンブール、キリス

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 2014年3月のGRMオンサイト実習で、トルコのシリア国境の街であるキリスを訪れた。キリスでは、トルコのNGOであるキムセ・ヨク・ム(Kimse Yok Mu、以下KYM)による、シリア人難民(注1)家庭への物資配給ボランティアに参加させてもらった。ここでは、そのときの様子を報告する。

 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の報告によると、シリアと国境を接するトルコに避難しているシリア人難民は、オンサイト実習直後の2014年4月時点で、登録済み及び登録手続き中の者だけで約71万人に及んでいた。未登録者も含めるとその人数は80万人に及んでいたと言われる。難民の3~4割が難民キャンプで生活し、その他は都市部の住居や路上で生活している(注2)。

 シリア北部の都市アレッポからわずか50kmの距離に位置するキリスには、私たちの訪問時点で約7万人の登録難民が暮らしていた。なお、難民を除くキリスの人口は8万人ほどである。登録難民のうち約37000人は、トルコ政府が運営する2ヵ所のコンテナ型仮設住宅の難民キャンプで生活しており、残りの約33000人がキャンプ外で生活していた(注3)。今回、KYMと物資配給を行ったのは、このようなキャンプの外に暮らすシリア人難民の家庭であった。

 まず、今回活動に参加させてもらったKYMについて簡単に解説したい。KYMは、世界のあらゆる形態の貧困の撲滅を活動目的とするNGOで、現在の活動分野は、災害被災地の支援に加え、貧困家庭や孤児への保健・教育支援、途上国での学校建設や飲料水の浄化、伝性病の予防、難民支援など、多岐に渡っている【写真1】。活動地域もトルコ国内だけでなく、中東やアフリカ、アメリカ、東南アジア地域など、世界中に展開している。2011年の東日本大震災の際には、日本でも被災地への物資供給や炊き出しといった活動を行った。またムスリムが運営するNGOの特徴として、毎年の断食月や犠牲祭の時期には、ムスリムが暮らす60ヶ国ほどの貧困層に、食糧や犠牲祭に必要な家畜を届けている。

 KYMの始まりは、1999年にトルコ北西部を襲ったマルマラ地震の際に、被災現場に駆けつけた人々のボランティア活動であった(注4)。多くの建物が倒壊した現場では、瓦礫の下に取り残された人々、そして彼らを探し出して救出しようとする人々の双方が、「キムセ・ヨク・ム?」(トルコ語で「誰か(助けてくれる人は/助けを求めている人は)いませんか?」の意味)と呼び合う声が溢れたという。トルコ各地から被災地への支援はその後も続き、サマンヨル放送は寄付を通じて被災者への支援を呼びかけるための番組「キムセ・ヨク・ム」の放送を開始した。この番組が発展する形で、2004年に人道支援のNGOとしてKYMが設立された。

 人々の自発的な救助活動から生まれたKYMの活動は、今も寄付金とボランティアによって支えられている。KYMへの募金は、商店などに置かれた募金箱や銀行振り込みのほか、クレジットカードや携帯電話のSMSを利用したオンラインでも集められている。小口ながらも大勢から集まる寄付金が、大規模な活動の資金となっている。また現場で活動を支えるのは、一般市民によるボランティアである。今回のシリア人難民家庭訪問を案内してくれたのも、KYMでボランティア活動をする一般のトルコ人たちである。キリスで私が載る自動車を運転してくれたトルコ人ボランティア・スタッフも、普段はアクセサリー等の販売の仕事をしており、仕事帰りや休日にKYMの活動に参加していると説明していた。

 なおKYMは、昨年12月のトルコ政府疑獄事件を巡る捜査で、エルドアン首相との対立が鮮明となったヒズメット運動に属している。ヒズメット運動はイスラーム思想家のフェトゥフッラー・ギュレン氏の教えに触発された市民運動で、支持者である中小の企業家や新興中間層の社会奉仕活動を促している。KYMはこうしたヒズメット運動の社会奉仕活動を、一つの組織の中で具体化したものと見ることができる。

 キリスの難民キャンプ外のシリア人難民は、家族ごとに一般の賃貸住宅や、トルコ人家庭が提供した空き室などで生活している。ある訪問家庭の家族は、シリア脱出後に公園で野宿していたところを、篤志家の厚意で住居を無料で貸してもらったという。だが他に訪問した家庭の家賃は月に100~125米ドルほどで、難民たちにとっては大きな経済的負担となっている(注5)。トルコにいる知人からの借金や、トルコでの仕事から得られる収入で、何とか賄っている状況だ。

 キリスでシリア人難民たちの主な雇用先となっているのは、建設現場と農園である。国境を挟んで隣り合うキリスとシリア北部は、共にオリーブやピスタチオの栽培が盛んだ【写真2】。シリア人難民の中にも、地元シリアのオリーブ農園やピスタチオ農園で働いていた者が少なくない。彼らは農園での仕事に慣れた労働力として、トルコの農園で収穫などの仕事を手伝っている。だがもちろん、仕事を得られる難民は一部であり、得られる仕事も期間が限られているなど、いつまでも働き続けられる保証はない。訪問した難民の多くは、働くことを望みながらも、トルコで仕事を得る難しさをうったえていた。難民たちは自分たちの貯金やわずかな収入に加え、KYMが配布した専用のクレジットカードを利用して食糧など必要なものを手に入れている。

 私たちはKYMと共に、こうしたシリア人家庭の一軒一軒を訪ね、ミルクや砂糖などの食品が入った支援品ボックスを配った【写真3】。難民キャンプ内での支援活動と違い、キャンプ外では広い範囲に分散して暮らす難民たちの家庭を個別にまわらなければならない。私たちはそのうちの数軒を、KYMと共に自動車でまわった。入り組んだ市街のどこに、何人の難民が、どんな家族構成で暮らしているのかを、KYMのボランティアたちはよく把握しており、草の根的な活動の強さが感じられた。

 難民家庭の他に、私たちはKYMが運営する難民のための病院や、シリア人の授業を受け入れる学校、食糧の無料配給所を見学させてもらった。学校ではトルコ人とシリア人の小中学生が交代で教室を利用している。校長もトルコ人とシリア人の2人がおり、シリア人にはアラビア語でシリアのカリキュラムが教えられている。シリア人教師にはKYMから給料が支払われている。だがこの小さな学校だけで1000人以上のシリア人生徒がおり、教室や教師の数が足りず、授業を受けられない生徒たちもいるという。またシリア人学校があるのは中学レベルまでで、高校以上の教育を受けるためにはトルコ語習得が必要となるため、シリア人難民にとって高等教育へのアクセスは難しい【写真4】。

 最後に、KYMによって街の広場に設けられた、トレーラー型キッチンの食糧配給所を見学し、炊き出し活動に参加させてもらった。雨が降り肌寒い中、暖かい食事を求めて大勢のシリア人難民がトレーラー前に列を作っていた。ここでは1日に4千食が無料で提供されているという。トレーラー型のキッチンの他に、広場にはシャワーやトイレを利用できるコンテナ型施設が並んでいた【写真5】。

 以上で見てきたように、難民たちの生活はトルコ政府や国際援助機関、NGO、そしてKYMボランティアのようなトルコの人々の献身的な活動によって支えられている。他方で、学校や食料配給所で出会ったシリア人難民からは、トルコ人やトルコの支援組織への不満も聞かされた。彼らの話によると、難民支援のための寄付金や物資の多くは、トルコ人によって横流しされ、難民のもとには届いていないのだという。その真相は定かではないが、このような噂が広がっているのは、長引く避難生活への苛立ちの表れでもあるだろう。また、キャンプ外で暮らす難民の中には、今回見たような人道援助を受け取れていない者の方が多い(注6)。

 難民の増加や避難生活の長期化が続けば、受け入れ側のトルコ社会の負担も大きくなる。難民の多いシリア国境地域を中心に、物価や家賃の上昇、賃金の低下、医療サービスの不足、NGOの活動がシリア人難民に集中し、トルコ人の社会的弱者が顧みられないなどの問題が既に発生している(注7)。今回の実習の後も「イスラーム国」の台頭などシリアでの混乱は続き、2014年9月時点でトルコの登録シリア難民数は90万人近くまで膨れ上がり、未登録者も含めた難民数は130万人以上に及ぶと予測されている(注8)。難民の流入が続けば、トルコ人の間でシリア人難民への不満が高まっていくことが懸念される。

 今回参加した難民支援活動は、食料などを「与える」スタイルの活動であった。だが今後も避難生活が長引くようであれば、職業訓練やトルコ語学習など、トルコで生活するために必要な能力獲得のための支援も重要性を増していくだろう。

 今回訪ねたシリア人難民がトルコへ避難してきた理由は、家が戦闘で破壊された、戦闘激化で仕事ができなくなり、経済的に立ち行かなくなった、家族の安全のためなど様々であった。だがトルコでの難民支援がどんなに充実したとしても、シリアの故郷に戻りたいという願いは皆共通していた。難民生活への支援強化はもちろん、彼らが願うように、シリアでの生活の一刻も早い回復が何よりも望まれる。


(注1)トルコはシリアからの避難民を、正式には難民と認定せず、明確な滞在期間制限のない「ゲスト」として扱っている。トルコは難民条約締約国であるが、難民の定義をヨーロッパから逃れてきた人に限っている。他の地域出身者は一時滞在許可を得て帰国や第三国定住を目指すことになる。シリアからの避難民への対応には、通常の避難民と異なる例外が適用されているが、その地位には不明確な点がある(Euro-Mediterranean Human Rights Network. 2011, October. Syrian Refugees in Turkey: A Status in Limbo)。本稿では便宜上、シリアからの避難民を難民と呼ぶ。

(注2)UNHCR. 2014, April 21. UNHCR Turkey Syrian refugee daily sitrep. ; UNHCR. 2014, March 31. Monthly summary on Syrian refugees in Turkey.

(注3)UNHCR. 2014, March 31. Syrian refugee camps and population in Turkey.

(注4)Kimse Yok Mu homepage. http://www.kimseyokmu.org.tr/.

(注5)米国のシンクタンク、Brookingsの報告によると、キリスで難民たちが支払う家賃の平均は初期の100~150米ドル/月から、350~500米ドル/月まで上昇している。特にイスタンブールに住む難民が支払う家賃は高騰しており、比較的安い地域でも平均350~750米ドル/月にのぼる。難民を厚意で受け入れてきたトルコ人ホストファミリーの負担も大きくなってきている。Brookings. 2013. Turkey and Syrian Refugees: The Limits of Hospitality.

(注6)Republic of Turkey Prime Ministry Disaster and Emergency Management Presidency. Syrian Refugees in Turkey, 2013 Field Survey Results.

(注7)Brookings. 2013. Turkey and Syrian Refugees: The Limits of Hospitality.

(注8)UNHCR. Syria Regional Refugee Response. http://data.unhcr.org/syrianrefugees/country.php?id=224; UNHCR. 2014, September 12. UNHCR Turkey Syrian Refugee Daily Strep.


【写真1a】支援物資や災害救助の機材を集めたKYMの倉庫。イスタンブールで。
【写真1b】KYMでは世界各地の災害情報を監視し、支援の依頼に備えている。イスタンブールのKYMオフィスで。
【写真2】キリスの丘から見えるオリーブ農園。写真奥にはシリアが見える。
【写真3】シリア人難民が暮らす住居。
【写真4a】トルコ人とシリア人が交代で教室を使用している学校。
【写真4b】シリア人女子生徒たち。
【写真5】食料配給所。奥に見えるのがトレーラー型キッチン。


オンサイト実習2013(トルコ)

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