GRM Students’ Reports
GRM履修生活動レポート
研究留学(タイ王国チュラロンコーン大学)
グローバル・スタディーズ研究科 西 直美
2016/03/15
報告者は、2014年10月から2015年10月にかけてタイ王国チュラロンコーン大学における研究留学を実施した。
報告者の研究テーマは、タイ南部国境県におけるイスラーム教育についてである。南部国境3県と呼ばれるパッターニー県、ヤラー県、ナラティワート県では、現地で多数派を占めるマレー系ムスリムによる、タイからの分離独立運動が断続的に続いている地域である。とくに、2004年以降、イスラーム過激派によるとされるテロが激化したことによって、世界的な注目を集めることとなった。仏教徒かムスリムかに関わらず、犠牲者は1万人を超えており、タイの抱える最も深刻な紛争である。
タイ政府と反政府武装組織との間での抗争が激化したことを受けて、治安に着目した紛争研究が増加している。しかし、タイ南部国境県の問題の重要な背景要因となっているのが教育である。本研究留学では、文献調査のみならず、タイによる国家統合の一手段としての教育政策が現地においてどのように実施され、展開しているかを調査することを最終的な目的として設定した。
報告者はまず、バンコクにおいて先行研究の解読と共に、5か月後を目途としたフィールド調査の計画を実施した(2014年10月~2015年3月)。政策決定レベルの分析にあたっては、政府官公庁の資料、統計を中心とし、アーカイブデータや新聞記事も必要に応じて参照した。
2015年4月より、ソンクラーナカリン大学パッターニー校イスラーム学研究所を拠点に現地調査を開始した。受入担当教官は、深南部の教育研究の権威であるイブラハム・ナロンラクサケット教授である。ソンクラーナカリン大学パッターニー校は、1966年に設立された国立総合大学である。タイ政府による同化・統合政策の歴史のなかで、南部開発計画とマレー系ムスリムとの相互理解を促進する融和政策の一環として設立された。
調査中、断食月であるラマダンと重なった。ラマダンはムスリムにとって、重要な月である。ラマダン月には、世界で起こっている悲劇や恵まれない人々に思いを馳せ、自らの日々の行いを正し、家族や仲間との紐帯をいつも以上に大切にする月でもある。深南部では、この時期ムスリムの経営するレストランのほとんどが閉店する。ラマダン期間中(2015年6月18日~7月17日)は、インフォーマントに対するインタビューが困難となったため、ラマダン月は南部3県における伝統文化や社会に対する参与観察を中心に実施した。
ラマダンがあけるとともに、ナラティワート県ルソ郡の調査地に入り、およそ16週間現地に滞在しながら調査を実施した。ルソは、最も影響力があるとされる分離独立派組織である民族革命戦線(BRN)が設立された場所で、南部国境県の中でも最も保守的な地域として知られている。本研究では、教育関係者に対して、質問調査の基本となるインタビュー調査を中心に行った。なお、本研究では、インフォーマントを大学やホテル等に「招待」するという方法ではなく、すべての学校を訪問し、当該学校のインフラストラクチャーならびに村落の様子の調査も同時に実施した。現地の私立教育委員会や郡役所が保有するデータは、学校自身に作成させているものが多く、不完全である事例が散見される。自ら訪問する意義は、まず、登録されている書類の情報から得られるイメージと実際の規模の相違や、教室、職員室、運動場、食堂の様子、学校施設の維持管理の状況や問題点、さらに児童の様子と教授風景について確認できる点にある。
調査では、調査地における私立イスラーム学校校長と当該学校における一般科目の教員、宗教教員、私立学校の校長と教員、地理的条件に応じて選んだ公立学校の学校長と教員へのインタビューを実施した。インフォーマントとの信頼関係の構築のため、当該学校には数度訪れるようにした。友人、知人に当該学校関係者がいる場合は事前にその人物を通じて学校長の許可を得たが、知り合い等がいない場合は直接学校を訪れて学校長の許可を得た。
本研究留学では、国内外の研究者が行ってきたソンクラーナカリン大学パッターニー校を中心とする調査ではなく、治安問題やアクセスの困難性から調査がほとんど行われてこなかったナラティワート県における現地フィールド調査を実施することができたことが大きな成果の一つとして挙げられる。南部国境県問題に関するデータや分析のバイアスを少なくするとともに、先行研究に対して新たな知見を加えることが期待される。